2012年6月18日月曜日

対面商売の愉しみ

当店の物件は以前おすし屋さんだったので、構造上、ワタクシ、カウンターをはさんでお客さんと対面しながら仕事してるんですね。んで、立て込むときはともかく、一段落したりヒマなときには色々とお話を伺うことができるわけで。
いやあ、これが実におもしろいなあ、と。

ある方は新聞社のOBの方ですが、同僚の方がかつて、伏見に住んでた稲垣足穂(!)にインタビューしたことがあったそうな。あのタルホ・イナガキだよ!「一千一秒」だよ!元祖ダンディだよ!すげー! で、タルホ氏、おから(調理前のやつね)にレモンの絞り汁かけて酒のアテにしてたんだそうな。まずそー!でも何となくタルホっぽい!
そのお話をしてくれた方によると、おからレモンは内田百閒先生もやってたんだそうな。百閒先生ならありそうだなあ。いやあ、文人、おそるべし。

ある素敵なご婦人。なんかの拍子で昔の話になり、ご出身は「満州国」新京(現 長春)とのこと。敗戦で大変な思いをして本当に命からがら帰国されたんだそうです。それもすごい話だけど、身内の方がね、陸軍中野学校出身でその手の活動に従事してはったんですって!すげー!で、ずいぶん危ない橋を渡ったこともあったそうな。んで、あの李香蘭(!)にも面識があったんだとさ!わ~、オレは今日、歴史にタッチした!

「天井桟敷の人々」をもじって「天ぷら好きの人々」っていう親父ギャグの映画ポスターを掲示してたんですが、それ見てあるご婦人、「私、昔、ジャン・ルイ・バローに会ったことがあるのよ」(!)。言うまでもなくフランス映画の金字塔、キネ旬1位「天井桟敷」(1945)主役の大俳優であります。なんでも、来日して舞台監督かなんかしてはったとき、稽古に立ち会う機会があって、本当に目の前で、間近に、すぐそばで、(くどいね)、見たんだって!へ~、すごすぎて言葉になりません。
ちなみにバローさん、すっごい神経質な人やったって。さもありなん、ですよね~。

 山科の西友はもう、出来て40年くらいになるのかしら。んで、山科西友は4階のフロアーになんか変な段差がついてるのですね。エスカレーター上がって左が2,3段下がってる。何でこんな使いにくい、歩きにくい設計なんだろうと不思議でした。かつてこの工事に関わった方によると、この階はもともとボウリング場として設計されたんだそうな。あ、な~るほど。あのくぼみはレーンが並ぶエリアだったわけか、言われてみればまさにボウリング場のつくりだなあ。施工中に変更されてボウリング場にはならなかったけど、フロアのくぼみは残り現在に至るというワケらしいです。なんだか、ブラタモリみたいな山科西友裏面史であります。

とまあ、こんな話の数々にめぐり逢えて、なおかつお金まで頂けるんだから、ホンマに愉しいですわ。これでもっとしっかり儲かったら言うことないんすけどねえ。

さて、こんなお話を聞かせてくれたみなさんは70代。他にもいろんなエピソードをお持ちだろうと思うのですね。これらを何とか残せないもんか?時代の証言記録とかオーラルヒストリーとかたいそうな意味づけも可能と思うのですが、このままほっとけば30年後にはほぼ確実に消えてしまいます。
例えばですね、お一人おひとりにきっちりお話を伺って、それをビデオ映像にして残すなんてどうでしょうか。「自分史」書くなんてなかなか大変でしょうしね。さいわいデジタル記録媒体は今や安いし場所も取りません。
地域の社会福祉協議会と歴史学会と民俗学会とで協力して、すべてのご高齢の方にインタビューしてその方の人生、時代の証言を記録する
実際のインタビューは(なんせ膨大なので)、高校生、大学生、その他ボランティアが行い、専門家がスーパーバイズする。
結果として、
1,証言記録が残り、 民衆史が豊かになる
2,一人ひとりの人生を聞くことでその方の人生を社会が認め尊重し、自己尊厳につながる
3,インタビュアーの人生、視野が広がり他者尊重の意識が根付く
4,認知症の方に対しては回想療法的な効果も期待できる、かも

 ほんとにねえ、なんとかしないともったいないなあ、と思うのですよ。

んじゃまた
暇を持て余してる亭主敬白