2012年6月23日土曜日

「腹の立たないそば屋」とは

そば屋の親父が温厚で、とか言う話ではなくて、客として入ってソバ喰って、不快な思いをしない、気に障ることのない、味にのみ集中できる(結果的に不味くても)、そういうそば屋とはどういうもんか、を考察してみたいと。もちろんワタクシの極私的観点からでありますが。

清潔であるとか、スタッフの愛想がいいとか、そんなんは飲食店であるなら当然なのでここでは触れません。と思ったけど、親父が変に無愛想なのがそばジャンル的にはOKみたいな倒錯した考え方もあるらしいのであえて触れるけど、わざわざ足運んで金払って喰いに来てるんだから「媚びろ」とは言わないけどもうちょっとまともな口の効きようがあるやろう!ってのは心静かに料理を味わう状況ぢゃあないよね。聞いてんのか、コラ!と思い出し怒りに思わず没入してしまいました。んとにもう!ぷんすか!

閑話休題いたします。
そば屋に入って、天ざるをたのむとしましょうか。なぜ天ざるかって?そこが「手打蕎麦」謳ってるお店なら、とりあえずまずは冷たいお蕎麦を賞味させていただくのが礼儀というものでありましょう。したがって「ざる」(「もり」、「せいろ」とか色々あるけど、基本、冷たいつけ麺としてのお蕎麦、ね)。
そしてそのお店の売り上げに若干でも貢献しよう、わずかでも客単価を高くしてあげようという意味で「天ぷら」の附属した「天ざる」(天もり/天せいろ)。あ、ウソつきました。単にワタクシが天ぷら好きなだけです。
動機はともあれ、天ざるを注文。
程なくして運ばれてくる。

なんじゃこりゃあ!その1 (松田優作風に発音して下さい。)

猪口になみなみと ダシ without 汁徳利

たとえどれほど水の切れた蕎麦でも、やはり食べてるウチに猪口の中のダシは徐々に水っぽくなっていくものでありますよね。その時に汁徳利からダシを追加投入して原状復帰を図るわけですが、そのダシがない!水分含有量がいやまさっていくダシの状況を、手をこまねいて見ていろというのか!的な憤りがふつふつと。
さらに、近い将来に対する漠然とした不安も招来されるわけでありますね。つまり、いずれ確実にやってくる「そば湯」の時代、その時、このダシが大量に余っていたら一体どういう事態になるのだろうか、と。めちゃめちゃ辛いそば湯!味の調節も出来ない!塩分過多!血圧が!…、と迫り来る修羅場への恐れに全身が震えるのを覚える、的な。
いやあ、実際、ある手打ち蕎麦屋さんで、そんな事態に直面しまして。念の入ったことにそこのダシが藪系を思わせる辛いやつで、ちょん、としか浸けなくていい、ってゆーか、ちょんとしか浸けられない。案の定大量に残ったダシを前に途方に暮れた塩辛い記憶があるのです。いやあ、しょっぱいそば湯だったぜ!
お店の人は自分とこのそば、食べてないのかなあ?おいしく食べてほしいと思わないのかなあ?おそば、好きぢゃないのかなあ?なんて勘ぐりながら食べる蕎麦って、なんか情けないッス。

なんじゃこりゃあ!その2

天ぷらを何で食えと?

ざるそばのダシしかない、っていう天ざるはじつは結構ある、というかむしろそれが一般的なんだよね。
でもね、せっかくの温かい揚げたて天ぷらを、わざわざ冷たいダシに浸けちゃうんですか?
それ、なんとなく、学食で天ぷらに醤油かけるようなイメージなんすけど? また、ざるそばのダシって濃いですしね、これぢゃあせっかくの天ぷらの味がだいなしなんちゃうん?
 それに、ダシに油がついてぎとぎとになるじゃないですか。確かに天かす入りのダシで食べるざるそばや「天おろし」もおいしいんだけど、「天ざる」は天ぷらのこってりとおそばのあっさりとのバリエーションが好きなんですよね。と思うと天ぷらを食べるための手だてはやはり別に用意してもらいたいなと思うのです。
最低でもお塩くらい欲しいなあ。
で、やっぱ「天つゆ」がベストかなあ。両方ついてるともっといいかも。

てか、そおゆう思索が目の前のこの天ざるへ至る過程でどの程度おこなわれたのか、それが疑わしいのでありますね。そこんとこ、どやさ?と胸ぐらつかんで小半時ばかり問い詰めたい。
とまあ、時々凶暴な発作に見舞われる事があるほど天ざるの天ぷら提供形態への不満はたまっております。スムーズに天ざる喰わせてもらいたいなあ、と切にこいねがう次第であります。

なんじゃこりゃあ! その3

この量でこの値かい?!

山下洋輔さんが編んだ『蕎麦処 山下庵』という本に椎名誠さんの文章が載ってるのです。その名も「殺したい蕎麦」。小洒落た蕎麦屋で3~5口くらいで終わるソバ喰ってバカ高かって軽い殺意を覚えた、というエッセイで、ワタクシ、激しく同意いたすものであります。
  有名な観光地で十割蕎麦の看板に惹かれ天ざるを。あろうことかあるまいことか、1350円も出して13-15サイズの海老が一尾ぽっきり…。6-8くらいの常識外れの大きさの海老なら一尾で充分インパクトあるし、りーずなぼーなんですがねえ。
ええな~、リピーター作る努力せんでええとこは!と殺意と共に皮肉の100や200も言いたいところですが、なんにせよ、相場ちうもんがあるやろう?価格に応じた期待をそう簡単に裏切ってしもたら市場経済が崩壊してまうやんかいさ?「等価交換」ちう用語はだてに存在してるんちゃうねんぞ!とか憤りつつ食べる蕎麦が旨いはずはないよねえ。

なんじゃこりゃあ! その4

  うざい!うるさい!好きなように食わしてくれ~!

ちょっと天ざるから離れますけど、昔、おいしく思ったカレー屋さんがあったんですがね、ここがまあうるさい店で。注文の仕方をあれこれ指導してあげく勝手に決めよるし、喰い方までうるさく指導する。で、自分とこのカレーの自慢たらたら。 じゃかあしい!と、ちゃぶ台を(脳内で)何度かひっくり返した後、足が遠のいてしまいました。
なんじゃかじゃとこだわってはるお蕎麦屋さんでも、何度か、「塩で喰え」みたいなことを言われて「あ~うっとおしいなあ」。
塩で喰うのンを旨いと思う人がいることは否定しませんが、ワタクシ自身は、ソバ粉で作った麺の味を愉しむために蕎麦を食うわけではないのです。麺、ダシ、両者相まってのトータルな「蕎麦という料理」を味わいたいのです。塩で喰って満足するほど高尚な舌は持ち合わせておりませんのですよ。と、挑発的になる必要は全くないし、要は個人の好みの問題なんですが、それにしても他人様に迷惑をかけさえしなければどう喰おうが自由やんけ。
ま、ワタクシも作る側の立場が常ですから、お客さんにいろいろ言いたいこともあったりしますし、気持ちはわかりますけど、押しつけられるのはかなんなあ。情報提供は大切だけどその方法は考えないとねえ、って思うのですよ。
仮にですよ、店主が面と向かって「このソバは塩で食べて」と言ったとしましょうか、で喰う。不味い、なんて言えませんわな。店主に失礼やし、高い金払ったんだから旨いと思わな損、みたいな心理も働いてね。とはいえ、実際に旨いのも確かでしょう。「おいしいですねえ」。さあ、以後ワタクシはここでは滅多なことがない限り、塩蕎麦以外食べられなくなる。ダシに浸けて食べたいのに。でもそんなんしたら、ここで演じている「蕎麦通」の仮面が剥がれ落ちてしまう。店主への見栄もある。ダシほしいのに…。
こういう心理的負担を感じてまで喰う蕎麦って何?って思うのであります。
まあ、かなり妄想入ってますけどね。(^^)


と、他山の石を分析して自らを省みるわけでありますね。
できる限りスムーズに、余分な障害を感じずにお蕎麦を楽しめる、そんな蕎麦屋をめざしたいな、と。

思いがけずヒマなサタデーナイトです。(>_<)
サタデーナイト ヒーマー! ってか?

んじゃまた
亭主敬白