2012年7月31日火曜日

ハードボイルドだど

お客さんから「美味しいよ」と教えられて行った隣県のお蕎麦屋さん。あんまり暑い日だったのでチャリは諦め原チャ、おかげで生ビールが飲めません。それはともかく、
シックな店構え、ほの暗い店内、テーブルや小上がりの配置も気が利いてて。
センスいいっすねえ。ウチと比べるとどこもおしゃれ極まりないス。
お蕎麦は手打ちの二八。キレイに整った中細の美しい麺。角がきっちり立って凜!って感じ。上手だなあ。
二三本つまんで食べてみる。
さて、さて、これが硬いんだ。モース硬度計で10、ダイヤモンドのように硬い麺。(ウソつきました。そこまで硬くはありません。)
せっかく手打ちなのにね、硬すぎたせいかなあ、あんまり蕎麦の甘みとか香りとかが味わえなくて、あごが疲れるほど噛まざるを得ないのもなんだかなあ、で、結果的にちょっと残念だったのれす。

何でこんなに硬いのか?こんなに硬く茹でる必然性とはいったい何?
レジん時に聞こうかとも思ったんだけど、なんか非難してるようで申し訳ないような気がして…、気が小さいもんで黙って出てきたんですけどね。 他のお客さんも特に問題視してるようでもなかったし…。

そいえば京都市内の手打ちそばやさんでもずいぶん硬いお蕎麦を食べた記憶があります。あれをコシがあるっていうのかなあ?もうちょっとゆがいてくれてもいいのに。蕎麦の美味さが出かかってるのをイマイチのタイミングで押さえつけちゃってる感じがして、ワタクシ、欲求不満なのであります。だいたい、もぐもぐくっちゃくっちゃ噛むのは本来の蕎麦の食べ方からしてどうよ?

『そばもん』の6巻にも硬い蕎麦の話が出てくるんですよね。あれはなんか、水回しがペケなので湯がくと溶けちゃう蕎麦、従って溶けちぎれる前に引き揚げるので硬い硬いお蕎麦、という事らしいですけど、そんな蕎麦でもなさそう。なのに硬い。
蕎麦を教わった教室ではね、蕎麦のコシはアルデンテではない、パスタとは違う、という講義がありました。アルデンテってつまりは生煮えってことですよね。パスタは芯に髪の毛一筋ほどの硬いとこを残すように茹でる。
蕎麦は芯までしっかり火を通す。生煮えの部分が無くなった蕎麦を洗ってぬめりを取り、冷水で表面を締めることで蕎麦のコシ、というかハリが生まれるんだそうな。
表面は硬く、内部はやわらかく、それを手繰ってずずっとすすり、前歯と下唇でふっつり切れる。というのが蕎麦。と、これは藤村和夫氏が言うてはったと思います。
いや、そうでないとアカン、とか言う気はないのですよ、色んな蕎麦が世の中にはあるみたいだし、嗜好は人それぞれですからね。ただ、伝統的にそう言われてきたようだし、ワタクシもそう言ったやり方の方がお蕎麦は美味しいと思ってるんです。
これも藤村氏の著書で知った言葉ですが、「生煮えは恥、煮えすぎは恥じゃない」というのが江戸蕎麦職人、特に釜前(茹で担当の人)の格言なんだそうな。こないだ食べた硬い蕎麦、生煮えかというと必ずしもそうではなかったような気がするんだけど、でもやっぱり硬かった。硬い硬い仕上がりだったのは事実。
昔からR.チャンドラーやD.ハメットを愛読しておりましたから、ハードボイルドは基本的に好きなのですよ。でもお蕎麦のハードボイルド(hard boiled)はなんだかなあ、もったいないなあ、と個人的には思ってます。んなわけで店の蕎麦も硬からず柔らかすぎず、適度なハリを持った感じで提供したいと努めておるのであります。

内藤陳さんも故人になっちゃったんだよねえ…

んじゃまた
亭主敬白

2012年7月30日月曜日

完成しました


店主手作りのベーコンです。
塩蔵4日、水抜き半日の後昨日スモーク、かくして先ほど取り出しました。
いつもより甘みを効かせてより濃厚な味わいに。試食に2切れ焼いてみたらこれがもう実に…

「オレってベーコン作りの天才?」と思わず呟いたのは、連日の猛暑に浮かされたせいだとは思いますが…
いやもうね、フランシスでもロジャーでも、旨いベーコンが良いベーコンなのであります。そしてこれは正にその旨いベーコンであります。御異論のある方は御来店頂きご注文してお食べいただきたく。

生ビールのお供に、蕎岳特製 手作りベーコン
 ベーコンスライス 辛子醤油で 一皿300円

御来店お待ち申し上げております。

んじゃまた
亭主敬白

 

2012年7月4日水曜日

羊頭を掲げて狗肉を売る 的な

「京都のお蕎麦はまずくて…」 とおっしゃる方が時折おられます。
事実としてはそんなこともなくて、特にいわゆる「ニューウェーブ系」なんかびっくりするほどおいしいとこもありますから、「京都の蕎麦」とひとくくりにして「まずい」といってしまうのは何だかなあ、とおもうのですけどね。

定休日は勉強のためにほうぼうの手打蕎麦を食べに行くようにしてるんです。近頃のテーマは、粗挽き蕎麦について明確な概念を持つこと、なんですけど、たまたまお目当ての店が行ってみたらお休みでして、しゃあないし、その近所の「手打蕎麦」の店に行ってみようと思ったのでした。もんのすごくメジャーな観光スポットです。以前から看板に「手打ち」の文字があったので気にはなっていたのですけど今までちょっとタイミングが合わなかったので。

まあ、先客が普通にたばこ吸ってたんで、ちと悪い予感はあったのですけどね。
んでも「手打ち」ですし。それなりの期待をもって当然かと。注文は天ざる。1600円オーバー。
つやつやとしたお蕎麦の上にパラパラもみ海苔。チョコ一杯のダシ、徳利なし。天つゆ/塩なし。
一口つまむ。ああ。
天地神明にかけて、機械打ち。
いや、別に不味かったというほどでもなくて、普通の機械製麺のお蕎麦。
でもさ、「手打ち」って書いてあったやないの?それって、どやさ?

そのお店には失礼な話だけど(いや、ワシちゃんと金払ったんやし文句言う権利はあるよね)、口直しにもう一軒!
ちょっと歩いたとこに「手打ちそば処」。ここは禁煙。
注文は天ざる。1500円オーバー。
なんか艶のないお蕎麦の上にパラパラもみ海苔。チョコ一杯のダシ、徳利なし。天つゆ/塩なし。
一口つまむ。え?
二口三口。まさかまさか、まじっすか?
天地神明にかけて、乾麺。
いや、ホントに乾麺か真相はわからんすけど、なんかぽきぽきした感じでまさにそんな味でした。ぜってーに手打ちぢゃねー。

そいえば、やはり京都のメジャー観光スポットのお蕎麦屋さん、山歩きの帰りに通りがかったとき、「手打ちですよ~」という呼び声に惹かれて入ったんですが、そこも思いっきり機械製麺でした。
そんな商売ってどーなんだろー?

いや、別に機械だからアカン、手打ちだからイイと言いたいのではないのです。実際、下手な手打ちよりも機械打ちのほうがマシ、という例だってありますし。(当店の最初期だってそうだったかもなあ… (^_^;) )
 問題は、手打ちでないのに「手打ち」と掲げ、客を惑わすことであるだろうと。
え~?京都の商売ってそんなん?ということになると本来前提としてあるはずの信頼関係が崩壊する。ぎすぎすした猜疑心の中で蕎麦を食う、なんてことになりかねませんぜ、旦那。

まあ、「手打ち」ったって木鉢作業をミキサーでとか、延し以降の作業を製麺機でとか、大量の製麺をする際、一部工程に機械を導入するというのはありますが、それは「手打ち」の定義上OKらしいので「すべて人力でないとアカン」なんて言いませんけど。でも全工程を機械に任すとか、生麺を仕入れるとか、乾麺使うとか、それを「手打ち」と言ってしまうのはなんだかなあ。

お蕎麦屋ハシゴして3000円以上も使ったのに、肝心の蕎麦で満足させてもらえなかったもんスから。

え?切れてないっスよ?


そうそう、帰って口コミサイトみたらハシゴした両店、どっちも結構評判いいんですよね。いや、みなさん、それでホントにいいの?食○ログの信頼性が地に落ちちゃうよ?

え?切れてないっスよ?

 んじゃまた
亭主敬白