2011年7月21日木曜日

なにげに深い山科

義士蕎麦を考案し、いざ売り出す前にしかるべき筋にご挨拶しておくべきと考えて、山科にある赤穂義士ゆかりの所をまわったのです。

まずは大石神社。
西野山の麓、稲荷山トンネル入口のすぐ南。祭神は大石内蔵助良雄。直球ど真ん中の神社ですが創建は昭和10年と新しい。とはいえすでに70年を閲し些か神さびた雰囲気漂う立派な神社であります。
宮司さんにご挨拶申し上げ頂いた名刺を拝見して息をのむ。
宮司さんは進藤さんとおっしゃるんですね。すげー。
何がってね、内蔵助が山科に隠栖したのは、奥さん(大石りく)の姉婿の進藤源四郎が山科出身だったからなのですね。山科でもこのあたり(西野山、百々)は古くから郷士の進藤さんが大きな実力を持っていたというのは「史料 京都の歴史11 山科区」所収の古文書をみてもよくわかる。で、その末裔あるいは係累の方なんだと思うのですが(初対面でそんなことまで伺うのは憚られたもんで確認してませんが…)、まさに「進藤さん」。おおーマジすげー!

そいえばね、蓮如蕎麦つくって挨拶回りしたときも、西宗寺の住職さんが「海老名」さんと知って感動したのでした。蓮如上人が15世紀に山科本願寺を造る際、その土地を寄進したのが野村の郷士海老名五郎左衛門。上人に帰依し西宗寺を創建。その御子孫の方ですぜ。
さらに蓮如上人隠居所の南殿は光照寺さんになってますが、ここも音羽の郷士粟津氏が帰依して作ったお寺で、住職はやはり粟津さんなのですね。
500年連綿と続いて現在に至らせる、その強い意志と努力に感動しちゃったのですね。

大石神社の南に岩屋寺という観光コースにはまず乗らない小さなお寺さんがあるのですが、で、実は大石内蔵助、ここの境内内に住んでいたそうで、「大石閑居跡」の石碑がある。
山寺の雰囲気たっぷりの閑静なお寺で、元天台宗でしたが信長の比叡山焼き討ちのあおりで焼亡、江戸時代に禅宗の尼寺として再建され現在に至っているとのこと。内蔵助はこのお寺への尊崇篤かったらしく討ち入り前に同志48名(含む寺坂吉右衛門 )の位牌を預け菩提を弔ってもらっているのだとかで、本堂にはその位牌とか、本物の内蔵助の机、手文庫、金庫、槍が伝えられてて、こりゃあすごい!忠臣蔵って、史実だったんだ、と実感。
ちなみに岩屋寺さん、拝観料400円払って色々解説付きで拝見させていただきましたが、この解説がよかった。寺務の方なのかな、おばちゃんの話がめちゃ面白い。400円安かった。値打ちあります。

いやあ、深いわ、山科。

んじゃまた
亭主敬白