2010年5月21日金曜日

火への油の注ぎ方 あるいはクレーム対応について

人間ですからミスすることはあります。対人援助の仕事とか客商売ではそれが人と人とが対面する場面の中で起こりえます。
運が良ければそれがクレームとなって顕在化します。(普通は黙って次回以降の来店を止め、運が悪ければ悪い噂を流したり、ネットの口コミに悪評を書き込んだり)
そのクレーム処理をどうするかが、クレーマーを味方につけるか、悪評をばらまくスピーカーにまで仕立て上げてしまうのかのカギを握っているのでしょう。

やはり基本は、まず、心から謝罪することだろうと考えています。
「ごめんなさい」でも「すんませんでした」でも、用語はともかく、大切なのは申し訳なかったという気持ちを相手に伝えることなのだろうと思うのです。
時には自分の落ち度ではないことでも客/クライエント側の誤解や思いこみによって不満や苦情が生まれることもあります。
 それでも、相手に誤解の余地を与えたことに関しては責任の一端を負っているわけですから、やはり謝るべきだろうと思います。

「お客様は神様」だからサービス提供側がへりくだるべき、というのではない。
みずからがサービス提供した相手が何らかの不快な思いをしたことについて客/クライエントの気持ちに寄り添い、自己のミッション(快適に過ごしてもらったり適格にニーズを充足させる)を全うできなかったことを反省し謝罪すべきであるだろうと思うのです。

「すみませんでした。」「申し訳ありません。」
まず言葉と態度でもって謝罪の意を伝えることで、相手は自身の気持ちや立場を理解してもらえたという認識を持つ。
もちろんその謝罪が受け入れられて、無事に事なきを得るかどうかは未知数ですが、しかしはっきりしているのはミスした側が誤りもせずにシレっとしてたり言い訳に終始していたら、治まるものも治まるまい。「なめとんのか。まず謝ったらどうや?!」ということになるだろうと思うと恐ろしくて夜も眠れない。

いや、なに、ちょっとクレーマーの立場を味わったもので。そしてある種最悪の対応をされたもので。なんかもう実に腹立たしい思いをかみしめているところなのです。
この思いは大切にしたい。
未来の我が客にはこんな思いを味あわさせるまい。
ではどうあるべきだったのか、どんな対応をされれば満足できたのか。
もう実に単純なことであります。
あやまれよ、まず。
え、なんやその謝り方は。ちゃんと謝るべきやろう。
わずか一言の謝罪の言葉がない、あっても気持ちがこもってるように受け取れない。そのために今日はこんなに腹が立ってる。

こんな小さな事で激昂してる自分はなんと小さいことか、とは思うのですがね。でもここで悟りすまして大目にみてしまうと、他人が同様の目に遭うときの気持ちや思いをないがしろにしてしまうような気がするのです。
あん時わし、ほんまに悔しかったなあ。今この人も同じくらい悔しいんやろうなあ。申し訳ないなあ。という洞察を行えるためにも今の気持ちはしみじみと味わって忘れないようにしたいのです。

人を雇えば接客のマニュアルを教育する必要があるわけですが、ホスピタリティの核心は煎じ詰めれば客の思いや感情に対する共感や洞察でしょう。ちゃんとした接客のためにはマニュアルに基づく基本動作の習得を前提としつつ、そうした心性のトレーニングも必要だろうと思うのです。
「心のこもった接客のためのロールプレイングゲーム」みたいなトレーニング法とか探せばあるかも。amazonとかでさがしてみようかしら。

なんだかなあの一日でしたが、接客に関して思いを深められ具体的な行動課題が新たに浮かび上がった、という意味では有意義だったと言えないこともないかな? ま、そういうことにしておきたいと思います。

んじゃまた

亭主敬白