シックな店構え、ほの暗い店内、テーブルや小上がりの配置も気が利いてて。
センスいいっすねえ。ウチと比べるとどこもおしゃれ極まりないス。
お蕎麦は手打ちの二八。キレイに整った中細の美しい麺。角がきっちり立って凜!って感じ。上手だなあ。
二三本つまんで食べてみる。
さて、さて、これが硬いんだ。モース硬度計で10、ダイヤモンドのように硬い麺。(ウソつきました。そこまで硬くはありません。)
せっかく手打ちなのにね、硬すぎたせいかなあ、あんまり蕎麦の甘みとか香りとかが味わえなくて、あごが疲れるほど噛まざるを得ないのもなんだかなあ、で、結果的にちょっと残念だったのれす。
何でこんなに硬いのか?こんなに硬く茹でる必然性とはいったい何?
レジん時に聞こうかとも思ったんだけど、なんか非難してるようで申し訳ないような気がして…、気が小さいもんで黙って出てきたんですけどね。 他のお客さんも特に問題視してるようでもなかったし…。
そいえば京都市内の手打ちそばやさんでもずいぶん硬いお蕎麦を食べた記憶があります。あれをコシがあるっていうのかなあ?もうちょっとゆがいてくれてもいいのに。蕎麦の美味さが出かかってるのをイマイチのタイミングで押さえつけちゃってる感じがして、ワタクシ、欲求不満なのであります。だいたい、もぐもぐくっちゃくっちゃ噛むのは本来の蕎麦の食べ方からしてどうよ?
『そばもん』の6巻にも硬い蕎麦の話が出てくるんですよね。あれはなんか、水回しがペケなので湯がくと溶けちゃう蕎麦、従って溶けちぎれる前に引き揚げるので硬い硬いお蕎麦、という事らしいですけど、そんな蕎麦でもなさそう。なのに硬い。
蕎麦を教わった教室ではね、蕎麦のコシはアルデンテではない、パスタとは違う、という講義がありました。アルデンテってつまりは生煮えってことですよね。パスタは芯に髪の毛一筋ほどの硬いとこを残すように茹でる。
蕎麦は芯までしっかり火を通す。生煮えの部分が無くなった蕎麦を洗ってぬめりを取り、冷水で表面を締めることで蕎麦のコシ、というかハリが生まれるんだそうな。
表面は硬く、内部はやわらかく、それを手繰ってずずっとすすり、前歯と下唇でふっつり切れる。というのが蕎麦。と、これは藤村和夫氏が言うてはったと思います。
いや、そうでないとアカン、とか言う気はないのですよ、色んな蕎麦が世の中にはあるみたいだし、嗜好は人それぞれですからね。ただ、伝統的にそう言われてきたようだし、ワタクシもそう言ったやり方の方がお蕎麦は美味しいと思ってるんです。
これも藤村氏の著書で知った言葉ですが、「生煮えは恥、煮えすぎは恥じゃない」というのが江戸蕎麦職人、特に釜前(茹で担当の人)の格言なんだそうな。こないだ食べた硬い蕎麦、生煮えかというと必ずしもそうではなかったような気がするんだけど、でもやっぱり硬かった。硬い硬い仕上がりだったのは事実。
昔からR.チャンドラーやD.ハメットを愛読しておりましたから、ハードボイルドは基本的に好きなのですよ。でもお蕎麦のハードボイルド(hard boiled)はなんだかなあ、もったいないなあ、と個人的には思ってます。んなわけで店の蕎麦も硬からず柔らかすぎず、適度なハリを持った感じで提供したいと努めておるのであります。
内藤陳さんも故人になっちゃったんだよねえ…
んじゃまた
亭主敬白