2010年9月29日水曜日

温かいそば 始めました

先週の金曜日、朝目覚めると肌寒かったのでした。あれほどの猛暑が一体どこへ行ったやら。それはともかく、突然の秋。
当店のスタメンは二八、生粉打ち、てんぷらせいろ、蓮如蕎麦(越前風おろしそば)と、基本的に冷たい麺ばかり。いや、別に「そばはざるに限る、温かいそばなんか邪道だ!」という原理主義的な観点からではなく、単純に温かいそば用のダシ(以下「かけ汁」と言います。)に自信が持てなかったから。
亭主はたまたまのご縁があって(ネットでの検索も「ご縁」には違いない)、横浜で蕎麦修行をさせてもらったのですが、ざるそば用のつゆ(以下「ざる汁」と言います。)はともかく、かけ汁はやはり東西で大きく違います。しょうゆの淡口、濃口の違いだけにとどまらず、ダシのとりかた・材料も違う。
あえて習い覚えた江戸風で勝負するのもひとつの方法ではありますが、亭主自身が食べて「美味しい」「ホッとする」「納得できる」という味では残念ながらなかった。どうしてもしょうゆが強くて。これはもう東西の食文化の違いなのでいかんともしがたい。ともあれ自分で「なんだかなあ、これでは京都人にはそっぽむかれるなあ」と思う味で勝負をかける勇気はさすがにないのであります。
で、納得できるかけ汁ができるまで温かいそばは封印をしていたのでした。9月中に研究して10月くらいから出そうかな、と。長期予報では10月、11月も暑いらしいし。そんなに急くこともないかいな、と。

と思ってたら突然の秋。涼しいのを通り越して寒いくらい。
あ、こら、予定前倒しで温かいのんを始めねば。と、ベンチ入りしてた天麩羅そば、にしんそば、かけそばの3選手に急遽出場してもらいました。
かねて研究中だったウルメ、メジカ、サバをつかった秘伝のダシに淡口醤油、砂糖、みりんを合わせたかけ汁。
気候の変化に慌てて対応してメニューに追加したので調理手順はまだもたつくのですが、味はなんとか及第点ではないか。客観的な評価としては、温そばを頼んだお客さんの丼、いずれも汁がほとんど残っていないのでご満足いただいているのだろうと思います。

白状いたしますが私、かつては「原理主義」の信奉者だったのであります。
そばを本当に味わうなら冷たいざるに限る。それ以外、天ざるも温そばも邪道だ、くらいにマジで考えてました。
しかしながら、そばと天麩羅はまさに「であいもん」というかベストマッチって感じですし、そばは温めると甘みが活性化するんでしょうね、もう、実に美味い。
たしかにいい粉を使って打った蕎麦はまず第一に冷たいざるで食べたい、食べて欲しい、とは思いますが、そういう美味しいそばは温そばにするとこれがまた絶品なのです。冷たいざるそばだけに固執していたらそばの真価はわからんなあ、というのが今の率直な思いです。
生物(せいぶつ)だけでなく、そばの味わい方も多様性が大切ではないか、と温かい天麩羅そばを食べながらしみじみ思うのであります。

んじゃまた
亭主敬白

2010年9月26日日曜日

そば茶 ー非日常へのカタパルト

ぼったくり、というようなとんでもなく高い価格設定をしているわけではありませんが、それでも手打ち蕎麦となるとやはりちょっと高級感ある値段にしないと商売が続けられません。
まあ「高いなあ」ではなく、「リーズナブルやん」と思ってもらえるべく努力をしているわけでありますが、それでも安からぬ金額ですから、お客様にはぜがひでも満足していただかなければ申し訳ない、という思いがあります。
満足できるかどうかについての指標は個々人で異なるものでしょうが、最大公約数的なものとして、ちょっとお高めの金額を要求される店であるなら、そこに「日常からのプチ離脱」体験という要素が求められるものと考えています。

千葉県浦安にある某巨大遊園地だかテーマパークだかはそのへんかなり計算して来場者を上手に「あの」世界へ連れて行ってくれる。日本の日常生活とは全然違った世界に一時遊ばせてくれる。
蕎麦屋も、それなりの値段とるのだったらそうした配慮は当然必要になるのではないか、と思うのです。
えと、つまり
「せっかく高い金払ったのに家で喰うのと変わらへんやんかいさ」ではあかんわけで。
たとえばテーブルの七味とうがらしが家と同じ○&Bとか○ウスのガラス瓶だったら、思いっきり日常ではないですか。
天麩羅のネタもサツマイモの輪切りでは、おいしくてもあまりにも日常くさい。(もちろんブランド芋なら別ですが)
天麩羅も天つゆよりは抹茶塩のほうが日常からの離脱度は高い感じしますよね。
わさびは… 結局静岡産の生わさび使ってます。

料理がおいしいということは大前提として、それにプラスして「非日常」感を醸すことに無神経ではあかんのちゃうかな、と。
それなりの値段とる蕎麦屋は「蕎麦のテーマパーク」という存在として期待されているのだと思うのですね。お客様を「めくるめく蕎麦ワールド」に誘い「日常からのプチ離脱」体験を提供する。お客様はひととき蕎麦ワールドにたゆたい、食欲を満たすだけではないプラスアルファの満足を得て日常生活に戻っていく。手打ち蕎麦屋というのはまさにそうした存在であることが予期されているのではないか?

前フリ長くて恐縮ですが、そば茶はお客様を「めくるめく蕎麦ワールド」にいざなう上での重要なアイテムだろうと考えているのです。
そば茶は蕎麦の実を焙煎したものを煮出したものですが、実に甘く香ばしいかおりがします。ソバの持つ栄養素もそのまま含んでいて健康によいそうな。
で大事なのは、ふつう、そば茶は家庭ではまず飲まないということ。よっぽどのそば茶ファンでもない限りそば茶を飲む機会というのは蕎麦屋以外ではない。ね、もう既にして非日常の飲み物なんですよね。
蕎麦屋ののれんをくぐり席に着く。運ばれてきたお茶が香ばしいそば茶。あ、珍しい、そうかココは蕎麦屋という異世界なんだなあ、ということを嗅覚で知らしめ、一気に蕎麦ワールドへ誘うのであります。
ウチはさらに「そばかりんと」(蕎麦を油で揚げたもの。塩味)をサービスでお出ししています。(料理をお出しするまでの時間稼ぎでもあります。)この「そばかりんと」も、まず蕎麦ワールドでしか出逢えないアイテム。そば茶で異世界へのトリップを始めたお客様の飛翔スピードをさらに加速させる、という仕掛けであります。
これすべて身銭を切ってウチのお蕎麦を食べに来て下さるお客様の満足度向上のため。蕎麦屋という異世界、蕎麦のテーマパークに心おきなく没入し、「日常からのプチ離脱」体験を全うしていただかんがための手続きなのですね。(多くのお蕎麦屋さんが同じ思いだとおもうのです。)
※ 追記 そば茶出さない蕎麦屋はペケ、なんてことを主張したいわけではありません。誤解のないように念のため追記しておきます。

と、まあ、あえてこんな手の内をさらけだすのは、そば茶を不当に貶める「妄論」がネット上に存在するから。
いわく

「個人的に最初の蕎麦茶は嫌いです。今から蕎麦を食べようとしているのに、蕎麦茶はチョット。
れは私見ですが、最初に蕎麦茶を出してもらうのは、どうも好きになれません。
これから蕎麦を戴こうと思っているのに、その前に蕎麦の香りの強いお茶はチョット辟易とします。」

 これを書いている方が、そば茶の味や香りが嫌いというなら個人の嗜好の話なので何も端から口を出す必要はないのです。しかし、この方が嫌いなのは特異な価値観かららしい。そして言外に、「そば茶を出す店は感覚が鈍く配慮が足りない」というメッセージを込めている。
店側のもてなしの気持ちを理解してもらえないのは残念というしかありませんが、そうジャイアニズミックに主張されると、そば茶の名誉のためにひとこと言っておきたいと思うのは、そば茶も含めた蕎麦ワールドを愛するものとしては当然のことではないでしょうか。(と、たいそうに言う程のことでもありませんが (^_^;) )

何が「妄論」かというと、
蕎麦特有の香りはごぞんじのように熱に弱い。ですからウチもそうですがほとんどの手打ち蕎麦屋は製粉過程で熱を持ちやすいロール挽きではなく、石臼挽きの粉を使用することにこだわっている。
そば茶は前述したように蕎麦の実を炒って、つまり炭化の寸前までとことん熱をくわえたものなんですよね。この状態で蕎麦特有の香りなど残りようがないのです。ご飯の香りと玄米茶の香りがまるきり違うように、そば切りの香りとそば茶の香りは全くの別物。
そば茶の香りは、蕎麦の主成分である澱粉やタンパク質を焦がしたにおいでしょう。そば切りとは全く違う香りをかいでこれから食べるそば切りへの興趣が薄れるとか、辟易するだとかいうのは理解に苦しむのです。常人の域を超えたよほど鋭敏な嗅覚を持った人なのか、あるいは何らかの観念的なドグマに嗅覚が囚われているのか。
いずれにしてもごく特殊な価値観に基づいて、公開の場で蕎麦茶を、蕎麦茶を出す蕎麦屋を、ひいては蕎麦茶を喜ぶお客様を論難するのはいかがなものか、と思った次第。


というわけで当店は今後も胸をはって蕎麦茶をお出しするのです。蕎麦アレルギーの方はご注意下さい。

ええ、私、竹を割ったというよりは、餅をついたような性格です。(^o^)

んじゃまた
亭主敬白

2010年9月24日金曜日

京都最速?

新そばのお話。

薄いエメラルドグリーン。
甘い香り。
これを小麦粉と混ぜたり湯ごねにするのは何とももったいない気がして、水でうった十割蕎麦にして提供しています。

旬のはしり、という観念的なハロー効果を抜きにしてもやはりおいしいのです。甘いなあ。

ソバ粉は北海道雨竜町産の極早生。キタワセという品種です。不作が伝えられる今年の作柄の中でよくぞ、という思いです。

先日の定休日、河原町のあたりをうろうろしてお蕎麦やさんのハシゴをしたのですが、さすがに「新そば」という掲示はなかったので、もしかするとウチが京都最速の新そばかも。まあ、早ければいい、というわけではないのですが、初鰹を愛でる情調と共通してちょっとうれしいものがあるのです。

新そば生粉打ちせいろ 1000円。一日限定10枚。京都最速、かもしれない新蕎麦を味わえるチャンスです。なんちて。

んじゃまた
亭主敬白

2010年9月20日月曜日

新蕎麦!

明日入荷します。
商売始めて最初の新蕎麦。ちょとうれしい。

玄ソバの管理をしっかりしていれば新蕎麦をありがたがる必要はない、という意見のあることは承知していますがやはり季節を感じさせる旬のもの。自然の恵みを扱う商売としては季節の移ろいを体感できる「新蕎麦」は大切な区切りというかひとつのイベントとして大切に味わいたいと思うのです。

入荷の時間によって新そば粉を使ったそば切りを提供できる時間帯が決まります。朝の蕎麦打ち終了後の入荷だと新蕎麦のそば切り登場は夜の営業から。入荷が早い時間帯なら頑張って昼の営業に間に合うように打ちたいな、と。

猛暑、猛暑と言ってましたが、いつの間にか、着実に、季節は移り変わっていくのでありますねえ。

そうそう、昨年国内産ソバは大不作だったらしいですが、どうやら今年もあんまり出来は良くないとの話です。玄ソバ(粉にする前の殻つきのソバ)やそば粉もまた高くなるのかなあ。かといって蕎麦の販売価格に上乗せも難しいでしょうし。これも温暖化の影響だろうと思うと温室効果ガスの削減課題が急に身近なものに感じられる秋の宵であります。

う~む、三連休最終日の夜はブログ更新できてまう程に閑だったなあ。やばいなあ。
ウチのお客さんは現時点では「少数精鋭」(^_^;) なのであります。
ただ、嬉しいことに「おいしかったわ~。こんな奥まった場所でもったいない、四条で店出したらどうや」と言って下さる方や、天麩羅を絶賛してくれるお客さん、東京から単身赴任で来られて「やっと京都でおいしいそば食べられた」と言って下さる方等々あって、(まあ、お世辞半分と受け止めるべきなんでしょうけど…) 、好意的に受け止めていただいているという感触は得ているのです。

さて明日は忙しくなりますように。

んじゃまた
亭主敬白

けんか売ってんのかなあ?

友人から食べログにコメントがついてるで、との情報。
そうでした。店を回すのに精一杯でころっと忘れてたけど食べログに情報登録したのでした。
 で、そこで当店に関する口コミをどなたかが書き込んだ、と。
http://r.tabelog.com/kyoto/A2606/A260603/26016586/dtlrvwlst/1992719/

えと、つまり
狭くて、
油くさくて、
蕎麦打ちは下手で、おいしくなく
サービスが悪くて
ダメダメな蕎麦屋であると。
不快、とまで書いてあるなあ。

うん、まあ、改善の余地はたくさんあると認識してはおりますが、ここまでボロカス言われるとなるとこの御仁の意図がよくわからなくなってくる。
要はウチの店につぶれてもらいたいんだろうか?
同業他社の陰謀か?(笑)

出来たばかりで地域での知名度もなく、場所的に奥まった地点で通りすがりの一見客もあまり期待できない店、従って現状ではなかなか予算通りの実績を上げられていない弱小店を名指しでここまで罵倒するには何らかの意図ないし悪意の存在を疑わざるを得ない。(笑)
ご近所でチラシを見た、あるいは人づてに聞いた、という以外でウチの店を認知する方は今日びのことだからネットでの情報の比重が高いだろうと思います。で、私などもそうですが、食べログで検索、というのはとても手っ取り早くて、しかも口コミ情報は結構参考にする。まあ、だからこそ繁盛を願って食べログに情報登録したわけであります。
で、新たに出発した蕎麦屋に対する最初の口コミがこれだ。
弱点を指摘し、その改善を促し、新しい店の望ましい発展を願う、という趣旨の文章ではないよね。もう実にゲンが悪いなあ。
これ以後、仮にウチの店を擁護する口コミが寄せられても、身内によるヨイショ記事にとられかねない。下手したら「店主乙」とか勘ぐられる可能性もある。
つまり、この御仁はウチの店の健全な発展よりは廃業を望んでいるのだろうなあ。

店の近所にお住まいで、蕎麦好きの人らしいようだが、自分の家の近所に蕎麦屋が出来て、それがつぶれずに進歩発展していくことが許せない様子。マイ基準に照らして合致していないのがアカンみたい。そういう店は存在してはいけないみたい。しかし、それはジャイアニズムの一形態ではないだろうか。(笑)


名店を称揚するのは当然だと思います。
しかし、名店の水準に達していないからといって新店を公衆の面前でけなし、経営に悪影響を及ぼしかねない行為を行う(営業妨害というやつですね)というのはどうなんだろう。
フルトヴェングラー指揮の第九の水準に達していないからって国内オーケストラの第九をボロカスけなすクラシックファンはいないと思うけど、蕎麦マニアというのはそういうことを平気でするんだろうか?
私も過去に自分のブログで蕎麦屋評を書いたことはありますが、名指しボロカス批評というのは蕎麦好きとしてはするべきではないと戒めていたのです。店の進歩も経営の持続あってのことですもんね。営業妨害はしたらあかんやろう、と。ま、これも私個人のマイ基準に過ぎませんし、他人に押しつけられる筋合いでもないですけど、こうもあっさりやられちゃうと、同業他社の陰謀ではないか、とマジで勘ぐっちゃうのでありますね。この人ほんとに蕎麦好きなのか、と。

まあ、確かにまだまだ腕は未熟で(それだけに日々の進歩が自分自身で著しく感じられるぐらいで… (^_^;) )、接客についても課題は多いと自認しています。だからこそ日々研鑽しているわけですが、そうした猶予というか「長い目」というか、発展に期待するみたいなスタンスではなくて、ある個人の主観に基づいてある一時点での評価でもって存在を否定されるのは勘弁して欲しいなあ、とおもうのであります。

 とはいえ、当店にお越し頂いて不快な思いをされたわけだからその点についてはお詫びをする必要があるでしょう。こんど来店されることがあれば(多分ないだろうけど)お詫びしたいと思っています。

ただね、ネギを目の前で切ってないことでダメだしされてるんですが、ネギは臭いがきついので普通、蕎麦屋では切ってからしばらく冷水にさらすんですよね。(ネギを「クサミ」(臭み)と呼ぶ蕎麦屋もあります)。で、水を切ってから使うのです。それをひとつひとつ注文うけてからやってたら二八蕎麦がでてくるだけでも20分はかかってしまうんだけど、それでいいのかなあ。讃岐うどんはその場で切って入れるところもあるらしいですが、それは蕎麦屋の流儀とは違うと認識しているのです。ちゃんと仕事してる部分を捉えて仕事してない、みたいな言われかたされるのは割にあわんなあ。


長くなりました。
3連休のなか日。夜が暇だったこともあってきっと腹が立ってるんだろうなあ。こんなに経営あやういのになぜこの上営業妨害されなあかんねん、て。
まあ、所詮ネットの匿名言論ですから聞き流しておくべきなのかも知れませんし、プロの蕎麦職人ならそもそも食べログの口コミなんか歯牙にもかけず仕事に没頭するもんでしょうけど。ほんの半月程前まで素人だったものとしてはまだまだ悟りを開けません。

んじゃまた
亭主敬白

2010年9月16日木曜日

スタンプラリー始めます

前のエントリでちらっと触れましたが、開店2週間で既に3回以上御来店の方が何人かおられるのです。めっさありがたい。「おちこんだりもしたけど わたしは元気です」と言うことができるのはこの方たちのお顔が思い浮かぶから。
こういった回を重ねて来て下さるお客さんになにか目に見える御礼ができれば。
もちろん一回一回の御来店を満足いただけるようにすることは大前提ですが、その他になんか必要だなあ、と思ってスタンプラリーを始めるのです。



クリックすると全貌があきらかになる、はずです。

「登頂を記念して…記念の粗品をプレゼント」って我ながら悪文だなあと思いますが、昼の営業終了後のあわただしい時間につくったらこんなんになってもた。
これは2つ折りにして名刺サイズになる大きさ。エーワンのカード用紙にはこんなんもあんねや、とアスクルで見つけて勇んで購入したもの。
蕎麦と槍ヶ岳登山は客観的には何ら関連性はありませんが、当店のキーコンセプトのひとつは山、とりわけて槍ヶ岳ラヴな店主でありますから主観的には平仄がとれているのです。文句あっか?って感じです。

ということで明日から「リピーターさん謝恩&新規獲得キャンペーン」を開始します。
豪華な粗品を用意しているのです。(^^)

んじゃまた
亭主敬白

2010年9月14日火曜日

わたしはかもめ

店を始めて10日がたちますがそうそうめざましくお客さんが増えるわけでもなく、ゼロの日もあったりして、不安と焦燥にかられたり、「まあ、焦ってもしゃあないわな」と鷹揚に構えたり、いずれにせよそう心安まる状況ではありません。
当初の目標というか採算点にもなかなか届かず、宣伝戦略をどう練るかということを真剣に考えざるをえないのではないか、いやいやまだ半月もたっていない状況でそう自分を安売りするようなマネをするのも将来に禍根をのこすのではないか等々、ま、ちょっと苦しい時期なんだろうなあと自己分析。

しかし今更ながらですが客商売というのはお客さん次第なもんですねえ、当たり前ですけど。そして総体としての「お客さん」というのはむら気でなかなかこちらからその動向を読むのがむずかしい。来るときは来るし、来ないときは来ない。まるで平安朝の妻問婚制度下で夫の訪れを待つ女性のような心持ちです。
と、同じような事を思った人が「盛り塩」というおまじないを始めたんだろうなあ…

「かもめ食堂」は映画で見ました。
自ら飲食店始めて急に思い出されるのは、色々あった末にかもめ食堂に大勢のお客さんが押しかけて満員御礼になるシーン。プールで泳ぐ主人公を周囲の人々が拍手で祝福するちょっとシュールな場面に続きますが、心象風景として確かに拍手をもらう設定は絶対必要だし、自分の店が満員になったら絶対拍手欲しいわな。店はオーナーの自己表現だし、満員になるというのはオーナーの存在を周囲が認めてくれた証しなわけですから。
蕎岳は残念ながら未だそこまではいっていない。まあ、ろくに宣伝してないのが大きいですが。


いつか満席になって行列まで出来て、みたいな状況になるだろうか?わずか20席の店とはいえ、それをいっぱいにするというのはかなり大変なことなのですねえ。
まあ、「商い(あきない)」っていうくらいですから飽きずに地道に続けていくしかないのですが。
徐々にあたらしいお客さんが来てくれて、常連さんぽくわずかの期間に何度も訪れてくれる方も何人かおられるので、希望の芽がないわけではないのですがね。

頑張らねば、と思っております。

エントリタイトルはチェーホフともソ連の女性宇宙飛行士とも関係ありません。なんとなく「かもめ食堂」を思い出したもので。

んじゃまた
亭主敬白