まあ「高いなあ」ではなく、「リーズナブルやん」と思ってもらえるべく努力をしているわけでありますが、それでも安からぬ金額ですから、お客様にはぜがひでも満足していただかなければ申し訳ない、という思いがあります。
満足できるかどうかについての指標は個々人で異なるものでしょうが、最大公約数的なものとして、ちょっとお高めの金額を要求される店であるなら、そこに「日常からのプチ離脱」体験という要素が求められるものと考えています。
千葉県浦安にある某巨大遊園地だかテーマパークだかはそのへんかなり計算して来場者を上手に「あの」世界へ連れて行ってくれる。日本の日常生活とは全然違った世界に一時遊ばせてくれる。
蕎麦屋も、それなりの値段とるのだったらそうした配慮は当然必要になるのではないか、と思うのです。
えと、つまり
「せっかく高い金払ったのに家で喰うのと変わらへんやんかいさ」ではあかんわけで。
たとえばテーブルの七味とうがらしが家と同じ○&Bとか○ウスのガラス瓶だったら、思いっきり日常ではないですか。
天麩羅のネタもサツマイモの輪切りでは、おいしくてもあまりにも日常くさい。(もちろんブランド芋なら別ですが)
天麩羅も天つゆよりは抹茶塩のほうが日常からの離脱度は高い感じしますよね。
わさびは… 結局静岡産の生わさび使ってます。
料理がおいしいということは大前提として、それにプラスして「非日常」感を醸すことに無神経ではあかんのちゃうかな、と。
それなりの値段とる蕎麦屋は「蕎麦のテーマパーク」という存在として期待されているのだと思うのですね。お客様を「めくるめく蕎麦ワールド」に誘い「日常からのプチ離脱」体験を提供する。お客様はひととき蕎麦ワールドにたゆたい、食欲を満たすだけではないプラスアルファの満足を得て日常生活に戻っていく。手打ち蕎麦屋というのはまさにそうした存在であることが予期されているのではないか?
前フリ長くて恐縮ですが、そば茶はお客様を「めくるめく蕎麦ワールド」にいざなう上での重要なアイテムだろうと考えているのです。
そば茶は蕎麦の実を焙煎したものを煮出したものですが、実に甘く香ばしいかおりがします。ソバの持つ栄養素もそのまま含んでいて健康によいそうな。
で大事なのは、ふつう、そば茶は家庭ではまず飲まないということ。よっぽどのそば茶ファンでもない限りそば茶を飲む機会というのは蕎麦屋以外ではない。ね、もう既にして非日常の飲み物なんですよね。
蕎麦屋ののれんをくぐり席に着く。運ばれてきたお茶が香ばしいそば茶。あ、珍しい、そうかココは蕎麦屋という異世界なんだなあ、ということを嗅覚で知らしめ、一気に蕎麦ワールドへ誘うのであります。
ウチはさらに「そばかりんと」(蕎麦を油で揚げたもの。塩味)をサービスでお出ししています。(料理をお出しするまでの時間稼ぎでもあります。)この「そばかりんと」も、まず蕎麦ワールドでしか出逢えないアイテム。そば茶で異世界へのトリップを始めたお客様の飛翔スピードをさらに加速させる、という仕掛けであります。
これすべて身銭を切ってウチのお蕎麦を食べに来て下さるお客様の満足度向上のため。蕎麦屋という異世界、蕎麦のテーマパークに心おきなく没入し、「日常からのプチ離脱」体験を全うしていただかんがための手続きなのですね。(多くのお蕎麦屋さんが同じ思いだとおもうのです。)
※ 追記 そば茶出さない蕎麦屋はペケ、なんてことを主張したいわけではありません。誤解のないように念のため追記しておきます。
と、まあ、あえてこんな手の内をさらけだすのは、そば茶を不当に貶める「妄論」がネット上に存在するから。
いわく
「個人的に最初の蕎麦茶は嫌いです。今から蕎麦を食べようとしているのに、蕎麦茶はチョット。」
「これは私見ですが、最初に蕎麦茶を出してもらうのは、どうも好きになれません。
これから蕎麦を戴こうと思っているのに、その前に蕎麦の香りの強いお茶はチョット辟易とします。」
これを書いている方が、そば茶の味や香りが嫌いというなら個人の嗜好の話なので何も端から口を出す必要はないのです。しかし、この方が嫌いなのは特異な価値観かららしい。そして言外に、「そば茶を出す店は感覚が鈍く配慮が足りない」というメッセージを込めている。
店側のもてなしの気持ちを理解してもらえないのは残念というしかありませんが、そうジャイアニズミックに主張されると、そば茶の名誉のためにひとこと言っておきたいと思うのは、そば茶も含めた蕎麦ワールドを愛するものとしては当然のことではないでしょうか。(と、たいそうに言う程のことでもありませんが (^_^;) )
何が「妄論」かというと、
蕎麦特有の香りはごぞんじのように熱に弱い。ですからウチもそうですがほとんどの手打ち蕎麦屋は製粉過程で熱を持ちやすいロール挽きではなく、石臼挽きの粉を使用することにこだわっている。
そば茶は前述したように蕎麦の実を炒って、つまり炭化の寸前までとことん熱をくわえたものなんですよね。この状態で蕎麦特有の香りなど残りようがないのです。ご飯の香りと玄米茶の香りがまるきり違うように、そば切りの香りとそば茶の香りは全くの別物。
そば茶の香りは、蕎麦の主成分である澱粉やタンパク質を焦がしたにおいでしょう。そば切りとは全く違う香りをかいでこれから食べるそば切りへの興趣が薄れるとか、辟易するだとかいうのは理解に苦しむのです。常人の域を超えたよほど鋭敏な嗅覚を持った人なのか、あるいは何らかの観念的なドグマに嗅覚が囚われているのか。
いずれにしてもごく特殊な価値観に基づいて、公開の場で蕎麦茶を、蕎麦茶を出す蕎麦屋を、ひいては蕎麦茶を喜ぶお客様を論難するのはいかがなものか、と思った次第。
というわけで当店は今後も胸をはって蕎麦茶をお出しするのです。蕎麦アレルギーの方はご注意下さい。
ええ、私、竹を割ったというよりは、餅をついたような性格です。(^o^)
んじゃまた
亭主敬白
※ジャイアニズム:Gianism ジャイアン主義 ♪ お~れ~はジャイア~ン! ♪